ドラえもんオタク話

先日映画を観に行きました。
娘さんが8月から公開していたドラえもんの新しいやつを見たいとのことで。
内容としては、、、うん。正直ドラえもんを語るとギーク臭全開になって何万文字でも書けてしまいますのでそこは置いときます。
このご時世なので映画館もコロナ対策で隣り合わない様一つ飛ばしで着席するようになっていました。集客の点でいうと残念過ぎる感じでしょうけど、見る側としてはこれは凄く良いっすね。知らない他人がすぐ隣にいないって快適。普通に。

他にも観覧中の注意は色々ありましたが、それらをまとめたポスターとして壁に貼られたこれ。

マル・デ・フジコ、そしてフジコ・ソ・ノモノw

ドラえもんにスクリーントーンが貼られていない違和感はありますが、原作もそういう場合があるので、まあ別に・・・というレベルでオリジナルに近いものがあります。これ見たら普通の人は作者はまだ生きてると思うのでは。藤本先生亡き後もテレビや映画が続いていますし。
その中で藤子プロの漫画ドラなイラストは実に関心してしまいます。
これはこれで良いよねと思ってしまうクオリティ。ストーリーはどう?作れる?と言及したら、そりゃ先生いないので、こればかりはどうにもならないか?
ただ、藤子歴38年から見てもイラストの方は全然アリと思います。

先日手塚治虫の漫画をAIに学習させて新しい手塚漫画を作る、みたいな試みが紹介されていました。新しい手塚漫画をAIで作るという、アプローチとしては凄く面白いと思いましたが、特集を見る限り「やっぱり限界があるなあ」と感じました。
それこそ、手塚治虫っていう天才の脳みそまで完コピできるわけじゃないですから、手塚作品!として見せられると、「え?うーん?」という気は拭えず。
一方、こういう無から新しい作品を作るのとは全く別ですが、藤子プロが描くドラえもんイラストなんかはその一コマから藤子先生の遺伝子を引き継いでるなと感じる、一つの作品と思います。

手塚漫画の試みと比してどっちがどう、というのはありませんし今更ドラえもんの新しい漫画を作れってのは別にお断りですが、正直今のところはAIによる模倣より生身の人間が先人から引き継いだモノの方がよっぽどいいもんになるんじゃないかという気がしています。

今後どうなるかわかりませんが。
って、そういえばドラえもんの道具で、漫画を読み込ませたらその漫画の作者の新作漫画がボタンポンで出てくるというのがありました。これAIによる手塚漫画の試みそのものですね。藤子先生恐ろしい。

あ、映画の方は、内容についてはネタバレになるので触れませんが、絵についてちょっと思うところが。
振り返ると昔、大山ドラ時代からテレビ版と映画版は独自の路線を歩んでいて作画の雰囲気に違いが出てました。水田ドラに変わると更にその差は大きく。
そして今回観たらそれ以上にテレビ版と違って見えました。それを良しとするか?というと「うーん」て感じで、水田ドラ当初くらいまでは「テレビ版と雰囲気が離れているけど別に、、、」というレベルでしたが今はちょっと独自になりすぎでは?と思います。アニメは水田ドラになって原作に寄せてきたけど映画は独自の進化をしてやがる感が凄い。うーん。

映画全体的にちょっと言うと、作る側がドラえもん好きなのは凄く良くわかりました。じゃあ見てくれている子供たちのことは好き?と聞いてみたいすね。

いけない。こんなところでドラえもんギークスイッチが入りかかっていた。あぶない。

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